Clásicos japoneses con furigana
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はんにゃしんぎょうこうぎ
般若心経講義
高神 覚昇
Lee 般若心経講義 (はんにゃしんぎょうこうぎ) de 高神 覚昇 (たかがみかくしょう) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 106.121 caracteres · 213 pantallas
私は諸君に哲学を教えんとするのではない。哲学することを教えるのだ」
といったと、伝えておりますが、そのいわゆる哲学することによって得た智慧が、この思慧に当たると思います。だから思慧は哲学の領分です。次に修慧とは、実践によって把握せられた智慧です。自ら行ずることによって得た智慧です。したがってそれは宗教の領分です。語るよりも歩むというのがそれです。その昔、覚鑁上人(興教大師)は、
「もし自分のいうことが、うそいつわりだと、思うならば、自ら修して知れ」
といっていますが、その修するというのが、この修慧です。だから三慧のうちで、この修慧がいちばんほんとうの智慧です。
耳にきき心におもい身に修せばいつか菩提に入相の鐘
という古歌は、まさしくさとりへの道をうたったものです。
かように、智慧には三種の区別があるように、私どもが平素、お経をよむ場合でも、いや、単にお経のみにかぎったことでもありませんが、ただ口だけでよむのではだめです。いわゆる「論語よみの論語知らず」ですから、それを心でよみ、さらにそれを身体でよまねばなりません。すなわち身読し、色読する必要があるのです。