Clásicos japoneses con furigana
ja-reading.com
Lee clásicos japoneses en línea con furigana. Filtra por nivel JLPT, toca una palabra para ver el significado y traduce una frase.
しんらんのすいみゃく
親鸞の水脈
吉川 英治
Lee 親鸞の水脈 (しんらんのすいみゃく) de 吉川 英治 (よしかわえいじ) en japonés con furigana. JLPT N2. Toca una palabra para ver el significado.
N2 · avanzado · kanji y kana modernos · 3786 caracteres · 8 pantallas
本誌(大法輪)の二十五年に因んで、僕の二十五歳頃を語れと仰っしゃるんですか。さあ今の青年とちがって、僕らのその時代は無我夢中でしたな。合理主義、利己主義、そんな風を卑しむ風潮の中で、いわゆる青年の客気満々でしたよ。無一物で東京に出てきて、苦学しながらも、夢だけは、いつも失っていないんです。だから素寒貧でいながらも、気宇だけはまあ今のリアルな青年よりは豊かだった。そしてどうやらささやかな家を一軒持って、両親と一緒に暮せるようになったのが二十五歳前後でした。まだ新聞社にもつとめておりませんでした。職業も転々と更えていました。そのころ呟いた自分の句に「この先を考えている豆の蔓」というのがあります。その豆の蔓みたいな自分でした。
二十七歳のとき父を亡くしましたが、その父すら亡くなる一週間ほど前に、「英治はどうして食べてゆかれるのか」というような意味のことを母に言っていたそうです。なんとも慚愧の念にたえません。
やがて「東京毎夕新聞」の学芸部に入ったのが三十歳頃でしたが、その時分、ちょうど倉田百三氏の「出家とその弟子」だとか、その他親鸞に対する一般認識が非常に高まっておりました。