Lecture japonaise

Classiques japonais avec furigana

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ニイチェについてのざっかん

ニイチェに就いての雑感

萩原 朔太郎

Lisez ニイチェに就いての雑感 (ニイチェについてのざっかん) de 萩原 朔太郎 (はぎわらさくたろう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.

N2 · avancé · kanji et kana modernes · 6 938 caractères · 14 écrans

Aozora Bunko

甚だしきは、かつてニイチェズムの名が、本能主義や享楽主義のシノニムとして流行した。それからしてジャーナリスト等は、三角関係の恋愛や情死者等を揶揄してニイチェストと呼んだ。

何故にニイチェは、かくも甚だしく日本で理解されないだらうか。前にも既に書いた通り、その理由はニイチェが難解だからである。たしかメレヂコフスキイだかが言つたやうに、ニイチェの読者は、インテリの中での最上層に生活して居る読者である。ところで、日本のインテリは、欧羅巴のそれに比して一般に程度が低く、知識人としての下層に居る。単にそればかりでなく、日本の詩人や文学者は、一般に言つて「哲学する精神」を所有して居ない。そしてこれが、ニイチェを日本の理解からさまたげてる最も根本の原因である。近頃日本の文壇では「日常性の哲学」といふことが言はれて居るが、元来文学者の生活には、常に「哲学する日常性」が必要なのである。即ちゲーテも言つてるやうに、詩人に必要なものは哲学でなくして、哲学する精神である。ベルグソンやデルタイは言ふ。真の意味の哲学者とは、哲学を学問する人のことでなくして、哲学する精神を気質し、且つメタフィヂックを直覚する人のことである。