Lecture japonaise

Classiques japonais avec furigana

ja-reading.com

Lisez des classiques japonais en ligne avec furigana. Filtrez par niveau JLPT, touchez un mot pour le sens et traduisez une phrase.

しのげんり

詩の原理

萩原 朔太郎

Lisez 詩の原理 (しのげんり) de 萩原 朔太郎 (はぎわらさくたろう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.

N2 · avancé · kanji et kana modernes · 153 641 caractères · 305 écrans

Aozora Bunko

反対に日本の自然派小説の大部分は、作者自身をモデルとした純私小説であるにかかわらず、当時の文壇の批判に於て、客観文学の代表と思惟されていた。さらに尚一つの例を言えば、西行は自然詩人の典型であり、専ら自然の風物外景のみを歌っていたにかかわらず、今に於ても昔に於ても、彼の歌風は主観主義の高調と考えられている。

されば主観と客観との区別が、必ずしも対象の自我と非我とに有るのでなく、もっと深いところに意味をもってる、或る根本のものに存することが解るだろう。何よりも第一に、此処で提出されねばならない問題は、そもそも「自我とは何ぞや?」という疑問である。主観が自我を意味する限り、この問題の究極点は、結局して此処に達せねばならないだろう。自我とは何だろうか。第一に解っていることは、自我の本質が肉体でないと言うことである。なぜならば画家は、自分の肉体を鏡に映して、一の客観的存在として描写している。また自我の本質は、生活上に記憶されてる経験でもないだろう。なぜなら多くの小説家等は、自己の生活経験を題材として、極めて客観的態度の描写をしている。

では自我とは何だろうか? すくなくとも心理上に於て意識される、自我の本質は何であろうか? この困難な大問題に対しては、おそらく何人も、容易に答えることができないだろう。