Lecture japonaise

Classiques japonais avec furigana

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Lisez des classiques japonais en ligne avec furigana. Filtrez par niveau JLPT, touchez un mot pour le sens et traduisez une phrase.

はんにゃしんぎょうこうぎ

般若心経講義

高神 覚昇

Lisez 般若心経講義 (はんにゃしんぎょうこうぎ) de 高神 覚昇 (たかがみかくしょう) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.

N2 · avancé · kanji et kana modernes · 106 121 caractères · 213 écrans

Aozora Bunko

の関係をいった言葉で、因縁のことをまた「縁起」とも申します。すなわち、「因」とは原因のこと、結果に対する直接の力です。「縁」とは因を扶けて、結果を生ぜしめる間接の力です。たとえばここに「一粒の籾」があるといたします。この場合、籾はすなわち因です。この籾をば、机の上においただけでは、いつまでたっても、一粒の籾でしかありません。キリスト教の聖書のうちに、

一粒の麦、地に落ちて、死なずば、ただ一つにて終わらん。死なば多くの実を生ずべし

とあるように、一たび、これを土中に蒔き、それに雨、露、日光、肥料というような、さまざまな縁の力が加わると、一粒の籾は、秋になって穣々たる稲の穂となるのです。これがつまり因、縁、果の関係であります。ですから、花を開き、実を結ぶ、という結果は必ず因と縁との「和合」によってはじめてできるわけです。ところが、私どもは、とかく皮相的の見方に慣れて、すべての事柄を、ことごとく単に原因と結果の関係において見ようとしているのです。しかし、これはどうかと思います。複雑極まりなき、一切の物事をば、簡単に、原因と結果という形式だけで、解釈しようとすることは、ずいぶん無理な話ではないでしょうか。