Classici giapponesi con furigana
ja-reading.com
Leggi i classici giapponesi online con furigana. Filtra per livello JLPT, tocca una parola per il significato e traduci una frase.
したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
Leggi 下谷叢話 (したやそうわ) di 永井 荷風 (ながいかふう) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 122.971 caratteri · 246 schermate
成島柳北があたかもこの年の秋に著した『柳橋新誌』第一編にお菊の事を記して、「彼ハ傾国ノ色絶世ノ技アルニ非ラズトイヘドモ、繊繊タル女手ノ力ヲ以テ大ニ巨閣高楼ヲ墨水ノ西ニ営ミ、扁シテ有明楼トイフ。有明ノ名頓ニ都内ニ播ク。豪士冶郎コノ楼ニ一酔セザル者ナシ。川口平岩ノ二楼ノ如キヤゝソノ下ニ就ク。」としている。但しこのお菊は五年の後文久三年の春には既に店を女中に譲って身をひいていた事が、たまたま『枕山詩鈔』第三編巻の中に見えているから此に附記して置く。
正月十九日に枕山は成島確堂の家に開かれたその祖錦江先生一百年忌の詩歌会に招かれて、七言古詩一篇を賦した。成島氏の家はもと同朋であったが、錦江が八代将軍吉宗に寵せられて奥儒者に挙げられてから、これを世襲の職となし、伝えて竜州、衡山、東岳、稼堂より確堂に至った。錦江は荻生徂徠の門人で才学義侠に富んだ有為の人物であった。その伝は原念斎の『先哲叢談』に審である。錦江は宝暦十年九月十九日に七十二歳で没したので、万延元年は一百一年目に当るわけである。この日の会には詩人のみならず歌人もまた招がれて一堂に集った。これは初め錦江が冷泉家について和歌を学んだので、その子孫は世※(二の字点、1-2-22)儒学を修むる旁、国風をも伝えてその家学となしていた故である。