Classici giapponesi con furigana
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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
Leggi 下谷叢話 (したやそうわ) di 永井 荷風 (ながいかふう) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 122.971 caratteri · 246 schermate
天保十年己亥の歳四月二十五日芝汐留なる奥平家の本邸内に生れ主家の女中になっていた。文久辛酉の年には二十三歳である。わたくしは母氏より聞いた所をここに識して置く。川田良兵衛は奥平家の勝手方を勤めた人で五男二女があった。嗣子伊三郎は篤学の士で藩中の者から尊敬せられていた。伊三郎の妻は同藩の足軽村松某の女で容貌がよかった。美代の姉なる良兵衛の長女何某もまた美人であったので、島津家の重臣某の許に望まれて適ったが、文久三年麻疹流行の時、鷲津氏に嫁いだ妹美代の女恒がこの病に感染したのを聞いて見舞に来り、自身もまた感染してそれがために死した。川田伊三郎の弟四人の中、京二郎源三郎の二人は毅堂の家に寄寓していたが、源三郎は剣術に達していたので常にその師毅堂の供をして歩いていた。文久慶応の頃は人心の甚殺伐な時で、辻斬がしばしば行われた。源三郎は或夜御成道で何者にか頤を斬られた。わたくしの母は源三郎が台所で血まみれになった顔を洗っていたのを今なお記憶していると言われた。維新の後川田源三郎は北海道に赴き屯田兵となっていたという事である。また川田氏の嗣子伊三郎の長男英太郎は維新後東京に出で銀座通に砂糖舗を開き一時は繁昌したという事である。