Classici giapponesi con furigana
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したやそうわ
下谷叢話
永井 荷風
Leggi 下谷叢話 (したやそうわ) di 永井 荷風 (ながいかふう) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 122.971 caratteri · 246 schermate
安政元年乙卯春二月下田奉行手附ト為ル。尋イデ神奈川奉行手附ト為ル。班ヲ支配勘定ニ進ム。文久壬戌秋八月家ヲ携ヘテ横浜ニ移ル。明年癸亥六月二十二日病没ス。享年四十六。江戸三田ノ薬王寺ニ帰送ス。配ノ村田氏二男ヲ生ム〕としてある。法諡は大運院法道日善居士である。長男は小太郎といい維新の後慶応義塾に学んでいたという事を聞いたのみでその生死を詳にしない。三田薬王寺の住職は、いつの頃であったかまだ枕山が世にあったころ、小太郎が父祖の石塔を石屋に売渡そうとした事をわたくしに語った。わたくしは小太郎の慶応義塾に在学した年代を知りたいと思って義塾に問合せたが返書に接することを得なかった。
七月九日成島確堂が広瀬青村のために別筵をその新邸に張った。枕山が七律の題に「確堂学士ガ柳北ノ新館、広瀬青村ガ豊後ニ帰ルヲ送ル。時ニ七月九日也。」としてある。柳北の新館とは確堂がその側室お蝶のために文久元年六月向柳原に築いた有待舎のことであろう。有待舎の記は博文館梓行の『柳北全集』に載っている。
七月二十四日にかつて安政中鷲津毅堂の隣家に住んでいた幕府表坊主中山文節という者が病没した。