Classici giapponesi con furigana
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おうしゅうにおけるみたちふじわらし
奥州における御館藤原氏
喜田 貞吉
Leggi 奥州における御館藤原氏 (おうしゅうにおけるみたちふじわらし) di 喜田 貞吉 (きたさだきち) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 17.211 caratteri · 34 schermate
の出征諸将の中に見えぬものがあるくらいで、他になんら参照すべき史料もなく、どこまで果して信じてよいか、明かでないものがはなはだ多い。
南部家の祖と称する南部次郎光行の名は、現に鎌倉出立御供に候する輩という中にもあって、この役に従事したことは明白であるが、この時彼が糠部五郡を賜わったといい、あるいは九戸・閉伊・鹿角・津軽・糠部の五郡を給せられたというに至っては、ただに事実に合わぬものあるのみならず、一も他に傍証すべきもののないのを憾みとする。『保暦間記』によると、安東五郎というもの東夷の堅めにとて、義時の代官として津軽に置かれたとある。また延文の『諏訪大明神絵詞』には、根本は酋長もなかりしを、武家その濫吹を鎮護せんために、安藤太というものを蝦夷管領とすともある。異本『伯耆巻』にも、「奥州津軽の住人安東又太郎季長云々、此の安東と云は義時が代に夷島の抑へとして、安藤が二男を津軽に置ける彼等が末葉なり」ともいっている。これらの安東五郎といい、安藤太といい、安藤が二男というものはいずれも同人で、安倍貞任の後と称し、実に後の秋田氏の祖先なのである。けだし奥地の夷酋が後に武家から本領の安堵を得たものであろう。