Classici giapponesi con furigana
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りりょう
李陵・山月記・弟子・名人伝
Leggi 李陵・山月記・弟子・名人伝 (りりょう) di Nakajima Atsushi (中島 敦) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 65.013 caratteri · 129 schermate
現在の我の意識が亡びたのちの無限の時を通じて、また、我というものがあるだろう。それを今、誰も予見することができず、またそのときになれば、現在の我の意識のことを全然忘れているに違いないが」と。
次のように言った男もあった。「一つの継続した我とはなんだ? それは記憶の影の堆積だよ」と。この男はまた悟浄にこう教えてくれた。「記憶の喪失ということが、俺たちの毎日していることの全部だ。忘れてしまっていることを忘れてしまっているゆえ、いろんなことが新しく感じられるんだが、実は、あれは、俺たちが何もかも徹底的に忘れちまうからのことなんだ。昨日のことどころか、一瞬間前のことをも、つまりそのときの知覚、そのときの感情をも何もかも次の瞬間には忘れちまってるんだ。それらの、ほんの僅か一部の、朧げな複製があとに残るにすぎないんだ。だから、悟浄よ、現在の瞬間てやつは、なんと、たいしたものじゃないか」と。
さて、五年に近い遍歴の間、同じ容態に違った処方をする多くの医者たちの間を往復するような愚かさを繰返したのち、悟浄は結局自分が少しも賢くなっていないことを見いだした。賢くなるどころか、なにかしら自分がフワフワした(自分でないような)訳の分からないものに成り果てたような気がした。