Classici giapponesi con furigana
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ききがきしょう
聞書抄
谷崎 潤一郎
Leggi 聞書抄 (ききがきしょう) di 谷崎 潤一郎 (たにざきじゅんいちろう) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 108.821 caratteri · 210 schermate
それは文禄元年の三月であって、淀君は在陣中に太閤の種を宿し、あくる年の春頃大坂へ帰った。太閤より北政所へ宛てた二年五月二十二月の書信の一節に、
この間よりすこしかいき(咳気)いたし候まゝ文にて不レ申、文のかきはしめにて候、又にのまるとの(二丸殿、淀君のこと)みもちのよしうけ給候、めてたく候云々
とあるのは、既に淀君が大坂へ帰った後のものであって、若君秀頼の誕生は同年八月三日であった。されば三成はその年の初めあたりに様子を聞いていたのであろう。そうして、もしも男子が生れたならば太閤と秀次との間柄がいよ/\面白くなくなりはしないか、太閤の意中、秀次に関白を譲ったことを悔いる心が生じるであろうし、秀次も亦それを察して不安を感ずるところから、幾分捨て鉢的な動機も手伝って、ます/\粗暴な行いを募らせはしないかと、早くも将来を案じたのであろう。一方秀次の行状は、もうその頃から眼にあまるものが多かった。文禄二年正月五日には正親町上皇が崩御遊ばされて、諒闇の世になったにも拘わらず、彼は関白の職にありながら精進潔斎することを怠り、十六日の夕食に鶴を食べた。そうしてしば/\花やかな行装を作って野遊びや狩猟に出かけた。