후리가나로 읽는 일본 고전
ja-reading.com
후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.
ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면
だから、その力を適当に評価して、これを敵にまわさなかった九条・西園寺が京都の政治を左右できたし、それに結びついた定家の一党が、歌界においても勢力を張りえたのであった。名分の上からいうと、後鳥羽・土御門・順徳・後醍醐四帝を流し奉った北条氏が日本歴史の上で乱臣賊子と扱われないのはよく判らぬことであるけれど、当時の情勢はまさに、それほどに、封建勢力が京都を左右しておったのである。だから二条家が大覚寺統に結び、京極家が持明院統について、おのおの家を立て、歌界の覇を争ったことも、実に深い中世的現象であって、王朝文芸の伝統が封建の力によって、各自の意識しない間に切り崩された一つのあらわれにほかならぬのである。
さて為家薨去の建治元年には、二条為氏五十四、京極為教三十七。為氏の子為世と為教の子為兼とはともに二十二であった。ところで為教はその後五年目の弘安二年に四十一で世を去ったので、為氏一代は、冷泉為相と細川庄の問題を争っただけで、京都歌壇における二条・京極の対立はまだ起り得なかった。いわば為氏の独り舞台だったのである。
まず為家薨去の翌建治二年に亀山上皇の院宣を以て撰集の御下命があった。