후리가나로 읽는 일본 고전
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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면
彼は作家であるとともに、『奥儀抄』『袋草紙』『和歌初学抄』などの著者で、歌学者としても大家だったが、あとへ残った弟の顕昭は、歌学者として俊成・定家も一歩をゆずる当時第一の大家といってよかったものの、作者としては段ちがいに下であった。そこで俊成は自ずと当代第一の歌人ということになった。それは彼が出家の翌年、六十四歳のときからのことである。
これより前、九条兼実は清輔を認めていたが、その卒去後間もなく俊成を引見した。その後子供の定家は九条家の家司になり、父子そろって永く九条家の庇護を受けるようになった。文治三年、七十三歳で『千載集』を後白河院の奏覧に供えたのである。その後、俊成は九条兼実、その子の後京極良経を背景として、歌壇の元老となり、数々の歌合に殆ど一人で判者となり、作者としても衰えを見せず、建仁三年九十歳に達し、和歌所において九十賀を賜わり、鳩杖を賜わるの光栄に浴した。普賢寺関白近衛基通が『俊成卿九十賀記』を書いた。翌元久元年十一月三十日に九十一歳で薨じた。ちょうど『新古今集』の竟宴が行われる前の年であった。
彼の家集は『長秋詠藻』という。長秋は皇后宮の唐名であるから、皇太后宮大夫であった役名を冠したわけである。