일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

吉川 英治의 新書太閤記(しんしょたいこうき)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 187,757자 · 375화면

아오조라 문고

と、辞気甚だ謙で、贈るところは頗る大きく、かつ、子息鍋丸にまで、柴田伝来の“莞爾”の銘のある名刀を与えたりなどしている。

このほか、直属の旗本諸侯などへも、大規模な論功行賞があったのはいうまでもないが、それはもっと後日になってからである。

北陸の後図一切をすまして、秀吉の戦捷軍が、長浜まで還ってきたのは、五月五日、端午の日だった。

あやめ太刀、節句祝いも、将士にさせで、滞城二日間。

秀吉は、その間に、岐阜方面の始末を聴取した。

その後、岐阜城は専ら、稲葉一鉄らの兵が、攻撃を続行していたが、柴田の大敗が聞えてから、神戸信孝以下、城兵の士気はまったく沮喪し、加うるに、城中には、一鉄の甥の斎藤利堯とか、稲葉刑部などの、いわゆる美濃同族が多くいたので、それらは皆、城を出て、羽柴方に属してしまった。

結局、留まるもの、わずか二十七人という窮状におち入って、ついに三七信孝も、城を遁れ、長良川から船に投じて、木曾川を降り、尾張知多へ落ちて行った。

「豊鑑」や「武家事紀」などの記載によると、

――三七信孝、柴田をこそ頼み給ひしに、亡びにしかば、草の根を絶たれしやうにて、郎党どもみな落ち失せ、日ごろ恵み深かりし者ばかり残り留れり。