후리가나로 읽는 일본 고전
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きょうしゅうのしじん よさぶそん
郷愁の詩人 与謝蕪村
萩原 朔太郎
萩原 朔太郎의 郷愁の詩人 与謝蕪村(きょうしゅうのしじん よさぶそん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 39,038자 · 78화면
蕭条として石に日の入る枯野哉
木枯や何に世渡る家五軒
句の景象しているものは明白である。正岡子規らのいわゆる根岸派の俳人らは、蕪村のこうした句を「印象明白」と呼んで喝采したが、蕪村の句には、実際景象の実相を巧みに捉えて、絵画的直接法で書いたものが多い。例えば同じ冬の句で
寒月や鋸岩のあからさま
木枯しや鐘に小石を吹きあてる
など、すべていわゆる「印象明白」の句の代表である。そのため非難するものは、蕪村の句が絵画的描写に走って、芭蕉のような渋い心境の幽玄さがなく、味が薄く食い足りないと言うのである。しかし「印象明白」ばかりが、必ずしも蕪村の全般的特色ではなく、他にもっと深奥な詩情の本質していることを、根岸派俳人の定評以来、人々が忘れていることを責めねばならない。
木枯や何に世渡る家五軒
木枯しの吹く冬の山麓に、孤独に寄り合ってる五軒の家。「何に世渡る」という言葉の中に、句の主題している情感がよく現われている。前に評釈した「飛弾山の質屋閉しぬ夜半の冬」と同想であり、荒寥とした寂しさの中に、或る人恋しさの郷愁を感じさせる俳句である。前に夏の部で評釈した句「五月雨や御豆の小家の寝醒めがち」も、どこか色っぽい人情を帯びてはいるが、詩情の本質においてやはりこれらの句と共通している。