일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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ちゅうせいのぶんがくでんとう

中世の文学伝統

風巻 景次郎

風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면

아오조라 문고

七

後鳥羽院の御考えが定家たちとちがっていられた証拠がそこにもよく見えていると思う。

七

ここでどうしても、新古今時代の歌の最高の愛護者であり、事実上歌壇の北極星であらせられた院について述べなくてはならない。

『増鏡』によって記すと、後鳥羽天皇は高倉天皇の第四皇子、安徳帝の西海へ遷幸されて後、寿永二年八月に、御年わずか二歳で帝位に即かれた。建久三年後白河法皇崩御の後は、院政を止めて親政にかえり、九条兼実・近衛基通が摂政関白の職にあった。建久九年御年十九で位を土御門天皇にお譲りになって、上皇と申しあげるようになった。その後、承久三年まで土御門・順徳・仲恭三天皇の御代にわたり、足かけ二十四年間、院政をお執りになった。後鳥羽院の御考によって歌の栄えたのは、この院政の時代のことであった。

それまで天皇親政の内裏では、やはり面ただしいことが大切で、歌会なども思うままにというわけには行かず、当時の新派の歌人は多く地下の人で、内裏の昇殿は許されてもいず、九条家や土御門家などに集っているだけで、打って一丸とした歌壇というものはなかった。院が早速正治二年に『正治百首』の歌を二十二人から召され、『第二度百首』