후리가나로 읽는 일본 고전
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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면
序にもこの肩書で撰者の中に挙げられている。その後かの承久乱のために、後鳥羽・土御門・順徳三上皇の遷幸という未曾有の事件が生じて、後鳥羽院仙洞を中心にできていた都の歌壇がばらばらになったのは承久三年、定家六十歳であった。この二十年に定家は正三位参議民部卿播磨権守に昇っていた。
しかしそれの一方、次第に後鳥羽院の御趣味とぴったり合わなくなって、最後には御不興を蒙り、勘当に与って、そして承久乱が来てしまったことは前にちょっと触れた通りである。これは後鳥羽院がかわられたのでなくて、定家が変ったのであった。それには無理もない点があった。一体『新古今』の気分なり歌風なりの基調になったものを、定家などが身をもって創出したのは、治承から正治へかけての二十年であったが、そのとき定家は二十代三十代の盛りの年頃であった。ところで正治から承久までの二十年間は、ちょうどまた院二十代三十代を過された時代、院から申せば盛りの御年だから、いよいよ豪奢な『新古今』の錦繍の調べを愛せられ、来る日も来る月も歌会の催しがにぎわしく続けられた。しかし定家はそのときすでに、四十から六十におよぶ年齢にさしかかっていて、自ずとこれまでの調子には行かなくなっていた。