후리가나로 읽는 일본 고전
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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면
十
などとも記している。勿論九条・西園寺両家の背景があるからであることは、定家自身が一ばんよく知っておった。
後鳥羽仙洞の雅会を飾った作家たちはみな乱の後は世に隠れてしまった。家隆や源家長が第一それで、藤原秀能なども出家して如願といっていた。隠岐島で『遠島御歌合』のお企てのあったときも家隆が万事斡旋して、歌をまとめてお送りしたが、定家は加らなかった。恐らくは、かつて御勘気を蒙っていたからというよりは、彼が家隆と組んで行うには余りに関東への結びつきが強くなりすぎておったためだったかも知れぬ。そのようなわけで、往年の歌人は多くすでに世を去ったし、残る者はすべて世を憚る人々であった。前代の寵遇に与りながら、後堀河の御代となって引きつづき時めいた歌人は、定家のほかには誰もなかったといってよい。そうした中で後堀河天皇の勅により、定家は独力で『新勅撰和歌集』を撰進したのであった。
十
定家は貞永元年六月十三日、後堀河天皇から和歌集を撰進するようにとの勅命を蒙った。この年の末御譲位、四条幼帝即位される。一年を隔て、天福二年六月三日に一千四百九十八首の自筆の本を奉って仮奏覧を行ったが、その後引きつづき改訂を行いつつあった。