후리가나로 읽는 일본 고전
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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면
定家の薨後は事実上歌壇の棟梁であったけれども、定家に抑えられていた反対勢力が少しは動き出した形があって、平穏とばかりはいえなかった。建治元年五月一日薨去、年は七十八であった。
六条家の有家は『新古今』撰者の一人であったが、この一党は『新勅撰集』ですっかり定家に圧えられてしまった。ただ知家は父顕家に早く死別して定家に学んだため十二首採られたが、定家の薨後為家に反対した。その著名なのが『蓮性陳状』(『群書類従』和歌部)である。蓮性は知家の法名であるが、宝治二年後嵯峨院の御歌合のとき、蓮性・為家いずれも作者に召され、為家は判者となった。しかし蓮性はその判に不平で、院に奏したのが『蓮性陳状』であった。蓮性の子は行家といって後に『続古今集』撰者の一人に加わったが、その後六条家は歌壇に殆ど勢力を失うのである。このときの『宝治百首』は為家の傑作として、その流派に尊まれたものである。
この年後嵯峨院が為家に勅命を下され、四年目の建長三年十月二十七日に奏覧したのが、第十代目の『続後撰和歌集』であった。為家五十四歳、『新勅撰集』奏覧から十七年目であった。
それから十年目の亀山天皇の弘長元年に、後嵯峨院の仰せによって、『弘長百首』