일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

ja-reading.com

후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.

ちゅうせいのぶんがくでんとう

中世の文学伝統

風巻 景次郎

風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면

아오조라 문고

彼の子為道・為藤・為冬・贈従三位為子みなこの世の人でなく、孫の為定もすでに五十一、為明は四十四、為重は十四であった。それらは一家内のことであるが、そればかりでなく、彼が外祖父である為子腹の尊良親王も、種々辛酸を嘗められ、尊氏が鎌倉に叛したときは、為冬は親王を奉じて討伐に向ったが、箱根竹下で戦歿し、親王は義貞が奉じて北陸に経略したが、前の年金崎城の露と消えておられる。為世の世を去る年には、その新田義貞も藤島に討死し、北畠顕家も石津に戦死して、足利尊氏が将軍となった。翌延元四年には後醍醐天皇が吉野で崩御になった。為世は晩年にその子にみな先立たれ、それから未曾有の大乱に遭遇し、そして吉野朝と京方との対立が持久的状態にふみ入ろうとするところまで正さ目に見て死んだのである。

大覚寺統は吉野へ移られたが、為世は老衰した世捨人で、京の方にい残った。それで孫たちもみな京に残って持明院統に仕えた。しかし冷泉為相の子為秀も京にいた。京方は持明院統で、光厳院の後を継がれた光明院の代である。伏見院・後伏見院はすでに崩御になっているが永福門院・花園上皇はまだ御健在で、京極家と親しくもあり、歌の傾向もその方に似通っていた冷泉家の為秀をむしろ重んぜられたから、二条家の者たちは手が出なかった。