후리가나로 읽는 일본 고전
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こくをみる
古句を観る
柴田 宵曲
柴田 宵曲의 古句を観る(こくをみる)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 166,028자 · 333화면
水汲の手拭落すやなぎかな 祐子
井戸端か、川のほとりか、それはわからぬ。手拭は被っているのか、持っているのか、腰にでも挿んでいるのか、それもわからぬ。ただ水を汲みに来た人が、手拭を地に落す、その白い色と、緑に垂れた柳との対照がこの句の主眼である。
色彩の対照以外に、明るい、軽やかな感じが一句に溢れていることは、贅するまでもあるまい。
ちかよりて見れば畑打女かな 枳邑
遠くに畑を打つ人の姿は、ただそれと見えるばかりで、男だか女だかわからぬ。だんだん近寄るに及んで、はじめて女であることがわかった、というのである。「ちかよりて見れば」という言葉は、わざわざ近寄って見る場合にも用いられるが、この際は作者の歩いている足が自然と畑打に近づくのである。
去来の「動くとも見えで畑打つ麓かな」という句は、本によっては下五が「男かな」ともなっている。「動くとも見えで」という語は遠景に適し、「男かな」は遠景に適せぬところがあるが、「麓かな」ならすべてが遠景になって、その問題は消滅することになる。枳邑の句は去来の句には無論及ばぬけれども、遠く畑打を望み、近づいてはじめてその女たることを知るという順序は、極めて自然に行っているように思う。