후리가나로 읽는 일본 고전
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やまのこんじゃく
山の今昔
木暮 理太郎
木暮 理太郎의 山の今昔(やまのこんじゃく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 21,554자 · 42화면
始は一山を上下して更に一山を登る方法を取っていたが、それでは一夏に登り得る山は多くも二、三に過ぎない憾があるので、之に満足せず、且つ峰から峰へわたり歩くことが案外に困難でないことを認め、野営用具、食糧品等を携帯する不便を忍びて縦走を決行し、成功を収めたので、之に傚う者が続出し、必要又は止むを得ざる外は一山を上下する者なく皆縦走するようになった。明治三十九年に小島烏水君が燕、常念間を縦走したのが其嚆矢であろう。こうして一挙に多くの山が登られたので、南北アルプスの目ぼしい山という山は忽ち登り尽され、興味の中心は谷筋やアルプス以外の山に移って、登山の範囲は黒部、双六、秩父、奥上州、奥羽、北海道に拡大し、遂には台湾朝鮮にまで及んだのである。
大正の初期頃から各校山岳部の活動目覚しく、年々多数の登山班を各地の山に送っていたが、経験を積み研究を重ぬるに従い、前人のコースを繰り返すのみでは満足せず、必然の結果として大正十一年頃から登路変更が要求され、別に山の側面又は残されたる岩尾根に新登路を開拓することに努め、各校の山岳部員は山の附近に合宿して、競争的に新登路の記録を作り、それも次第に困難な場所が選ばれるようになって登山技術は発達し、その一である岩登りが岩登りとして登山の分野に独立した新しい存在となった。