후리가나로 읽는 일본 고전
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ぶんげいひょうろんのほうほうについて
文芸評論の方法について
戸坂 潤
戸坂 潤의 文芸評論の方法について(ぶんげいひょうろんのほうほうについて)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 7,949자 · 16화면
のである。
例えば林房雄を取ろう。彼は決して評論を書かないのではない。だが彼は又決して評論家でもないし、評論家兼任の作家でもない。併し、ではなぜ彼は評論家ではないか、評論を書かないではないに拘らずなぜ評論家と世間は見做さないのか、単に評論の字数の多少の問題ではあるまい。又作家的エネルギーに較べて評論家的エネルギーが小さすぎるからというのではあるまい。もっと質的な問題があるのである。林房雄は、放言の名人である。彼の言論を誰も言葉通りに真面目に取る者はない。彼の言葉は色々話題に上されても、その言葉自身に信頼をおく者はまずなかろう。それが放言たる所以だが、放言は勿論評論にはならないのだ。評論には或る一種の合理上の責任とも云うべきものがある。評論はいつも解説し得るシステムの中に歴然たる位置を占める言葉を中心として成り立つ。そうでないということが放言の放言たる所以であろう。
放言は評論ではないと云ったが、之を文章にしたら評論ではなくて何になるか。恐らく雑文というようなカテゴリーが夫かも知れない。そうするとつまり、この場合には、評論家でない作家の評論として、例えば作家の書く雑文などを数えたらよいだろう。