일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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うたのえんじゃくするとき

歌の円寂する時

折口 信夫

折口 信夫의 歌の円寂する時(うたのえんじゃくするとき)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 13,623자 · 28화면

아오조라 문고

此点に於て、短歌は俳句よりも、一層生命に迫って行く適応性を持って居ることは訣るであろう。唯、明治・大正の新短歌以前は、その発生の因縁からして、かけあい・頓才問答・あげ足とり・感情誇張・劇的表出を採る癖が離れきらないで居た。其為に、万葉集以後は、平安末・鎌倉初期に二三人、玉葉・風雅に二三人、江戸に入って亦四五人、此位の纔かな人数が、求心努力を短歌の上に試みたきりである。だから此点から見れば、短歌の匂いを襲いで、而も釈教歌から展開して来たさびを、凡人生活の上に移して基調とした芭蕉の出た所以も、納得がゆく。同時に長い年月を空費した短歌から見ると、江戸の俳句の行きあしは遥かに進んで居る。

而も俳句がさびを芸の醍醐味とし、人生に「ほっとした」味を寂しく哄笑して居る外なかった間に、短歌は自覚して来て、値うちの多い作物を多く出した。が、批評家は思うたようには現れなかった。個性の内の拍子に乗って顕れる生命も、此を見出してくれる人がない間は、一種の技工として、意識せられ、当人の屡同一手法に安住することは勿論、追随者によって摸倣せられるのである。島木赤彦が苦しんで引き出した内律、そうして更に其に伴って出た生命は、一片の技工に化して了った様な場合の多かった事を思う。