일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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きょうしゅうのしじん よさぶそん

郷愁の詩人 与謝蕪村

萩原 朔太郎

萩原 朔太郎의 郷愁の詩人 与謝蕪村(きょうしゅうのしじん よさぶそん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 39,038자 · 78화면

아오조라 문고

日本に生れて、米の飯を五十年も長く食っていたら、自然にそうなって来るのが本当なのだろう。僕としては何だか寂しいような、悲しいような、やるせなく捨鉢になったような思いがする。

芭蕉の俳句には、本質的の意味のリリシズムが精神している。むろんそのリリシズムは、蕪村にも一茶にも共通しているのであるが(俳句が抒情詩の一種である以上、それは当然のことである。)芭蕉の場合に限って、特にそれが純一に主調されているのである。

衰へや歯に食ひあてし海苔の砂

この秋は何で年よる雲に鳥

蝙蝠も出でよ浮世の花に鳥

秋近き心の寄や四畳半

こうした句の詩情しているものは、実に純粋のリリシズムであり、心の沁々とした咏嘆である。西行は純一のリリシズムを持った「咏嘆の詩人」であったが、芭蕉もまた同じような「咏嘆の詩人」である。したがって彼の句は常に主観的である。彼は自然風物の外景を叙す場合にも、常に主観の想念する咏嘆の情操が先に立っている。これ芭蕉の句が、一般に観念的と言われる理由で、この点蕪村の印象的、客観的の句風に対してコントラストを示している。蕪村は決して、子規一派の解した如き浅薄な写生主義者ではないけれども、対象に対して常に即物的客観描写の手法を取り、主観の想念やリリックやを、直接句の表面に出して咏嘆することをしなかった。