일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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きょうしゅうのしじん よさぶそん

郷愁の詩人 与謝蕪村

萩原 朔太郎

萩原 朔太郎의 郷愁の詩人 与謝蕪村(きょうしゅうのしじん よさぶそん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 39,038자 · 78화면

아오조라 문고

芭蕉の佳句は十に二、三。蕪村の駄句は十に二、三、と正岡子規が評した。僕も昔は同感だったが、今の考で見れば、子規の蕪村ビイキが公平を失しているように思われる。芭蕉俳句のモチーヴは、元来非常に単純なものなのである。芭蕉の歌ってることは、常に同じ一つの咏嘆、同じ一つのリリシズムでしかない。故にそのリリシズムを理解しない限りにおいて、百千の句は悉く皆凡句であり、それを理解する限りにおいて、彼のすべての句は皆佳いのである。例えば小督局の廃跡を訪うて咏んだという句、

うきふしや竹の子となる人の果

の如きも、理解のない鑑賞で見る限りは、単なる観念的の俳句であって、子規のいわゆる月並臭の駄句にしか感じられない。しかしこうした俳句の中にも、芭蕉の詩情するリリシズムの咏嘆がよく現われている。そしてこのリリシズムは、解説的にくどくどと説明するよりは、こうした句の嘆息している言葉の音楽(声調の呼吸する抑揚感)によく現われている。つまり言えば、芭蕉俳句のポエジイは、全くその声調の節付けてる音楽の中に存しているのである。そこで「芭蕉が解る」ということは、芭蕉の音楽が解る(音楽に魅力を感ずる)ということにさえ同じになる。