후리가나로 읽는 일본 고전
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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면
以前の智巧的傾向を圧え、近き世に再び姿がかわって「花山僧正・在原中将・素性・小町がのち、絶えたる歌の様わづかに聞ゆる時侍る」といっている。つまり貫之より前の六歌仙時代、短歌が文学的創作となりはじめの純抒情歌であった時代を鋭く掴んでいるのである。それをもっと端的に「詞は古きをしたひ、心は新しきを求め、及ばぬ高き姿をねがひて、寛平以往の歌にならはば自づからよろしき事もなどか侍らざらむ」ともいっている。第三は『毎月抄』に「まづ歌は和国の風にて侍る上は、先哲のくれぐれ書き置ける物にも、優しく物あはれに詠むべき事ぞ見え侍るめる」とある。
そして、俊成は何処ででも独創でものをいっているのだが、定家はくりかえし親の訓えとか重代の名とか、先人の庭訓だとかいう詞を用いるようになって来ているのである。定家の意図はほぼ明らかだと思う。
これはつまり、伝統文学論の立場がはっきり出来上ったことにほかならない。『千載集』では、詩歌が文芸であることを護るために抒情が叫ばれたのだが、今や詩歌が文芸であるためには、声調の模倣が条件となってきた。そして定家がとりあげた古今調の、しかも貫之前の作家の声調ということは、王朝文学の伝統を護る心にとって、極限の一線であったのである。