후리가나로 읽는 일본 고전
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ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면
、三年に『亀山殿七百首』が行われたが、その年後醍醐天皇から歌集撰進の勅命が二条為藤に下った。翌元亨四年七月十七日、為藤は五十歳をもって病歿したので、更に為定に勅命が下った。為定は為藤の兄為道の子だが、早く養子にしていたので、順を追って為定に命ぜられたのである。為世は末子為冬を愛していたが、その望みはかなわずして、為定が撰して奉った。時に正中二年十二月十八日、『続後拾遺和歌集』がこれである。為世は自分の子や孫が勅撰集の撰者となるのを眼のあたりに見たし、嘉暦三年には為相が六十六で薨去した。二条家の歌壇的地位は安泰である。その上、為世の女(贈従三位為子)は後醍醐天皇の側近に侍し、その腹に尊良親王・宗良親王のような英邁の皇子がお生れになっている。為世は自足して元徳四年出家し、八十の高齢で華々しい栄華を一とまず閉ざした。その後、高野山の蓮花谷に隠棲したが、元弘建武の間また京都に帰ってもいる。かくて延元三年八十九歳を以て世を去った。
以上は鎌倉時代末期における二条・京極・冷泉三家分立の概略であって、関東にあった冷泉は別とし、二条・京極両家が、両統のかわるごとに、如何に撰集のことによって競争したかということについては、読者も充分の印象を作られたであろう。