후리가나로 읽는 일본 고전
ja-reading.com
후리가나가 있는 일본 고전을 온라인으로 읽으세요. JLPT 수준으로 골라 보고, 단어를 눌러 뜻을 확인하고, 문장을 번역하세요.
ちゅうせいのぶんがくでんとう
中世の文学伝統
風巻 景次郎
風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면
もし認めるならば自ら和歌を廃業しなくてはならなかったからである。
「詩」を失った和歌を、伝統の家業として継承するには、祖先の庭訓に対しても、御都合主義の姑息なこじつけが必要となってくる。為世はまさにそれを行っている。人の顔はみな眼は二つ横にならび、鼻は一つたてについているが、「しかも又同じ顔」でない。「されば歌も亦、かくの如き」ものであって、花を白雲と見ちがえたり、木の葉の音を時雨とあやまつことはどの歌でも同じことなのだ。しかし少しでも銘々の特色が出れば「作者の得分」となるというのである。そこで幸にも為世が例に出しているところの、花を白雲と見ちがえるというような桜花のとらえ方は、八代集の春の部の歌に確立された角度のとらえ方なのであって、その他のとらえ方がないようなことを為世がいうのは、つまり和歌の形式だけでなく、「詩」の感じ方までが因襲的になっているためである。ところがただそれだけでなく、今度は逆に、歌の新しい趣向を考えることの禁止がつよく述べられ、和歌的な雰囲気へ耽溺することが要求される。「大方四季の景物はみな季に随」って感じがちがってくる。春は世の景色もうらうらとしているが、決して「心すごく淋しき体」