일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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ちゅうせいのぶんがくでんとう

中世の文学伝統

風巻 景次郎

風巻 景次郎의 中世の文学伝統(ちゅうせいのぶんがくでんとう)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 115,977자 · 230화면

아오조라 문고

尭孝は明徳二年、両統合体の前年に生れた。法印・権大僧都に上り、二条派歌学の正統をついだ。飛鳥井家は二条派の傍流であったのでこれと交った。冷泉為尹・今川了俊らの世を去ってからは、正徹と相並ぶようになった。永享元年四十三歳の年、八月二十五日、後花園天皇の勅によって、撰集の御沙汰が下った。尭孝は和歌所の開闔、撰者は飛鳥井雅世であった。

飛鳥井雅世は定家の門人で『新古今』撰者の一人であった雅経七世の孫であった。雅経の子教定の女は為氏の妻、教定の男雅有は為家の門人、雅世の父雅縁は両統合体後の歌壇に少しは認められた歌人、ことに雅世の子雅親は正二位権大納言に昇り、出家して栄雅といい『古今集栄雅抄』の著があり、家集は『亜槐集』という。

飛鳥井雅経以降の系譜の図

右のように血がつづいて、つねに二条家と不即不離に添ってきたので、歌壇を掌握したことはないが、長く歌の家であった。今や二条家の血統に歌人が絶えたので、飛鳥井家が撰者の地位を得、尭孝は二条流の道統を継ぐ者として、これに与ったのである。永享十年八月二十三日四季部奏覧を終え、一条摂政兼良が真字序・仮字序ともに作った。