후리가나로 읽는 일본 고전
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つちのなかからのはなし
桜の森の満開の下
坂口 安吾의 桜の森の満開の下(つちのなかからのはなし)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 76,558자 · 153화면
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藤原不比等に四人の男の子があった。各※(二の字点、1-2-22)家をたて、武智麻呂を南家、房前を北家、宇合を式家、麻呂を京家と称し、各※(二の字点、1-2-22)枢機に参じていた。安宿夫人は光明皇后となり、三千代の勢威は後宮に並ぶものなく、藤原氏にあらざれば人にあらざる有様だった。
筑紫に起った痘瘡が都まで流行してきた。天平九年のことであった。加茂川のほとり、城門の外は言うまでもなく、都大路も投げすてられた死体によって臭かった。藤原の四兄弟も、一時に病没したのである。
藤原四家の子弟たちはまだ官歴が浅かったから、亡父の枢機につき得なかった。橘諸兄が大臣となり、吉備真備が重用せられたのも、そのためであった。安倍、石川、大伴、巨勢ら往昔名門の子弟たちも然るべき地位にすすみ、さしもの藤原一門も一時朝政の枢機から離れざるを得なかった。のみならず、式家の長子広嗣はその妻を元※(「日+方」、第3水準1-85-13)に犯され、激怒のあまり反乱を起して誅せられ、その一族に朝敵の汚名すらも蒙っていた。
もとより朝廷と藤原氏は鎌足以来光明皇后に至るまで特別の関係をもち、その勢力の恢復も時間の問題ではあった。