후리가나로 읽는 일본 고전
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おけはざまのかっせん
桶狭間合戦
菊池 寛
菊池 寛의 桶狭間合戦(おけはざまのかっせん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 12,784자 · 26화면
結末並に余説
まさに、神速なる行動である。熱田の宮では拝謝して馬を献じ社を修繕することを誓った。
凱旋の翌日、獲た首を検したのに二千五百余あった。下方九郎左衛門が生擒にした権阿弥をして首を名指さしめた。
清須から、二十町南須賀、熱田へゆく街道に義元塚を築き大卒塔婆を建て、千部経を読ませたと云う。
義元の野心煙と散じた一方、信長は地方の豪族からして一躍天下に名を知られた。
義元が逸した天下取りのチャンスは、はからずも信長の手に転がり込んで来たのである。
結末並に余説
この戦に於て、敗軍に属しながら、反って不思議に運を開いたのが松平元康、後の徳川家康である。元康は五月十九日の朝、丸根を陥した後大高に居ったが、晩景になって義元の敗報が達した。諸士退軍をすすめたが、元康若し義元生きて居たら合わす顔がないとて聞かない。処に伯父水野信元が浅井道忠を使として敗報をもたらしたので、元康は部下をしてその真実であることを確めた後、十九日の午後十一時すぎ月の出を待って道忠を案内として三河に退陣したが、土寇に苦められながらやっと岡崎に着いた。着いて見ると岡崎城の今川勢は騒いで城を明け退いていたので、元康すて城ならば入らうと云ってここに居った。