후리가나로 읽는 일본 고전
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(わたしはさきごろ)
(私はさきごろ)
高村 光太郎
高村 光太郎의 (私はさきごろ)((わたしはさきごろ))을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 1,517자 · 3화면
一体彼がとって動かぬ根本のささえとなったものは何であろう。時代の常識から考えればむろんそれは神であり、クリストであり、マリアであったといわねばならず、彼も亦神をかき、クリストを画き、マリアを画き、且つ石で彫り、神に祈る多くの詩を書いた。心のきしめく時必ず神をよんだ。だが、彼の神とは何であろう。どう考えてもそれはヴァチカン宮の中に居ない神のようである。彼自身が画にかき、彫刻に彫った神やクリストやマリアのようなものではなかったようだ。彼は十三四の頃から聖書によみ耽り、又ダンテの「神曲」に魂を奪われていたのであるから、それらのものが彼の内に形づくった素朴な映像が次第に増大して、後年の多くの製作となったには違いないが、その映像も最初はやはり先人の遺した多くの伝統的映像に養われたものであろうし、結局それは一つの仮設の世界のものであり、伝説的存立としての仮象であるから、彼の自らつくる神なりクリストなりマリアなりが、彼の内なる生きた神なりクリストなりマリアなりと同じであったとはうけ取れない。彼が一生涯に作った多くのそれらの絵画彫刻は、彼にとってまことに絵画であり彫刻であったに過ぎず、神やクリストやマリアはその絵画彫刻の伝説的主題として純粋な芸術的意味の外に意味は持たなかったに違いない。