후리가나로 읽는 일본 고전
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わかきひのせっつのかみ
若き日の摂津守
山本 周五郎
山本 周五郎의 若き日の摂津守(わかきひのせっつのかみ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 23,437자 · 47화면
一
一
摂津守光辰の伝記には二つの説がある。その一は藩の正史で、これには「生れつき英明果断にして俊敏」とか、「御一代の治績は藩祖泰樹院さまに劣らず」などと記してある。藩主の伝記などはたいてい類型的なものだから、こういう文句は珍しくもなし興味も感じられない。けれどもこれとはべつに、泉阿弥という筆名で書かれた「御進退実記」というものには、左のような思いきった記事がある。
――幼少のころから知恵づくことがおくれ、からだは健康であったが意力が弱く、人の助けがなければなに一つできなかった。つねに洟涎をながしながら、みずから拭くすべを知らなかったし、側近の者が怠ると失禁されることも稀ではなかった。これらは成長されてからも変らず、御家相続ののちでさえ、自分がたれびとであるかを、いちいち左右の者に問い糾されるありさまであった。
およそ右のような意味であるが、「つねにみずばなやよだれをながし」とか、「自分が誰であるかを、いちいち側の者に訊いた」などという表現は、たとえ実記だとしても無遠慮すぎるし、まさに「暗愚」といわんばかりで、却ってなにかよしありげに思われた。そこで藩士分限録と歴世名臣伝というのをしらべてみたところ、筆者の本名は永井民部といい、百石ばかりの小姓から、晩年には七百石あまりの中老に出世した人であった。