후리가나로 읽는 일본 고전
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にんしきろんとしてのぶんげいがく
認識論としての文芸学
戸坂 潤
戸坂 潤의 認識論としての文芸学(にんしきろんとしてのぶんげいがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 9,350자 · 19화면
――ここに文芸学がまず認識論でなければならぬ理由がある。なぜなら、それは丁度、科学論がまず認識論でなければならぬと、全く平行することだからだ。
文芸学という観念は旧くからあったものではない。主として近代ドイツの文学史家の手によって造り上げられた概念であるように見える(之まで存在する殆んど凡ての文芸学なるものは、ブルジョア文芸学であった。フランツ・シルレルはF・メーリングから唯物論的文芸学の出発点を導こうとしている)。之は今の処大体に於て、文芸史論と大して別なものではないようだ。――だがこれが歴史記述又は歴史的要約であるからと云って、文芸の認識論でなかったということにはならぬ。元来認識論とは認識の歴史の論理的洗練のことだ。一体論理乃至論理学というものが歴史の結論以外の何ものでもない。価値の観点は歴史の事実が原則を結論する処に発見する、それが論理というものだ。認識の歴史的発展とそれから結果するこの論理的結論とを媒介するものが認識論というものであった。
処でこういう意味に於ける認識論、というよりも寧ろ論理学は、芸術に関しては今日まで多くは美学の名を以て呼ばれて来た。