후리가나로 읽는 일본 고전
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かたられざるてつがく
語られざる哲学
三木 清
三木 清의 語られざる哲学(かたられざるてつがく)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 21,023자 · 42화면
私たちが徹底的な懐疑と呼びうるものは、実にかくのごとき懐疑である。それゆえに徹底的な懐疑とはすべてのものを殺し、従って自己をも殺すことである。かくのごとき懐疑の後に再びすべてのものを生かし、従って自己をも生かすことができるか否かは、実際かくのごとき懐疑に生きた人のみが体得し得ることであろう。疑いを征服する仕方は疑いの対象となるものを悉く否定してしまうよりほかにはない。懐疑が正当に結びつき得るものは一部分の否定ではなくして全体の否定である。懐疑の完成は使徒パウロが「われもはや生けるにあらず、キリストわれにおいて生けるなり」といったところにおいて見出されるのである。
自己の否定する心の犀利を矜ったり、いたずらに他と標異することを好んだり、もしくは自己の不道徳な生活を弁護したりすることが懐疑の正当な動機であることができないのは明白なことである。懐疑は論理をもって戯れることではなくて魂のまじめなる悩みである。懐疑の正しき動機はかようにして、よき生活への意志でなければならない。現実の世界もしくは自己に満足せずしてさらに価値多き世界、もしくは自己に憧憬する心において初めて正しき懐疑は見出されるのである。