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あるこうぎしょ

ある抗議書

菊池 寛

「中央公論」中央公論社、1919(大正8)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,272 字 · 34 页

青空文庫

『千葉町夫婦殺しの犯人捕わる』と、各新聞は報道しましたが、彼は此の事件ばかりの犯人ではありませんでした。新聞紙の報ずるだけでも、彼は十指に余る人間の命を絶ち、多くの子女の貞操を蹂躙し、数多の良民をして無念の涙に咽ばせて居るのでした。

父は、犯人逮捕の通知を、警察署から受けると久し振に晴々しく笑いました。そして、

「之でおとしも、お信も浮ばれるわい」と、申して非業に倒れた娘と、悲嘆に死した妻とを弔うて居りました。その夜は、仏壇に燈明を灯して、姉と母との霊に、犯人逮捕の欣びを告げました。

私は、初て現代の日本の警察制度に感謝しました。そして、天網疎にして洩さずと云う古い言葉にも、深い人間の世の摂理を知ったように思いました。

私達が坂下鶴吉の公判の経過に至大の注意を払ったのは、勿論でありました。が、遉に恐ろしい悪党であるだけに、諦めもよいと見え、地方裁判所で死刑の宣告を受けると、控訴もしないで、大人しく服罪しました。その判決のある日でありました。私は、私達の一家の運命に、残虐な打撃を与えたその男の顔を、一目見たいと思って、わざわざ傍聴に参りました。

あの公判延の被告箱の中に、傲然として起立して居る男を見ました時、私は姉夫婦の惨死の光景を見た時と同じような戦慄を感ぜずには居られませんでした。