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いしがおごる

いしが奢る

山本 周五郎

「サンデー毎日臨時増刊仲秋特別号」毎日新聞出版、1952(昭和27)年10月19日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,304 字 · 45 页

青空文庫

そして、二人がはいってゆくと、盃を持ったままにっと微笑した。千之助に会釈したらしい、が、その微笑を見たとたんに保馬はどきっとした。

――外島……おいし。

二つの名がつながった。

「おいし」と保馬が云った、「おまえ知っていたんだな」

いしの唇の間から歯が見えた。

「今日四時になにがあるかを知っていて、それでおれを呼びだしたんだな、そうなのか」

「――あの人は、あの……」

いしの舌がもつれた。そして唇の端から涎が垂れ、両方の眼の眸子がつりあがった。保馬は声をあげて、走り寄って、倒れかかるいしの躯を支えた。

「おいし、どうしたんだ」

そのまに千之助が、いしの手から盃を取り、その匂いを嗅いだ。それから脇にある銚子の匂いも、――そして低く叫び声をあげた。

「いけません、毒酒のようです」

保馬は色を変えた。いしは跼んだ。

「このまま、お願いですから」

舌がもつれるので殆んど言葉にならない、保馬はいしの躯を抱きあげ、「水を頼む」と云いながら縁側へ出た。千之助は走っていった。保馬はいしを俯向きにし、みぞおちへ自分の膝頭を当てておいて、背中を叩きながらどなった。

「吐くんだ、吐いてしまえ」