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おみな

おみな

坂口 安吾

「作品 第六巻第十二号」1935(昭和10)年12月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,437 字 · 11 页

青空文庫

母。――為体の知れぬその影がまた私を悩ましはじめる。

私はいつも言いきる用意ができているが、かりそめにも母を愛した覚えが、生れてこのかた一度だってありはしない。ひとえに憎み通してきたのだ「あの女」を。母は「あの女」でしかなかった。

九つくらいの小さい小学生のころであったが、突然私は出刃庖丁をふりあげて、家族のうち誰か一人殺すつもりで追いまわしていた。原因はもう忘れてしまった。勿論、追いまわしながら泣いていたよ。せつなかったんだ。兄弟は算を乱して逃げ散ったが、「あの女」だけが逃げなかった。刺さない私を見抜いているように、全く私をみくびって憎々しげに突っ立っていたっけ。私は、俺だってお前が刺せるんだぞ! と思っただけで、それから、俺の刺したかったのは此奴一人だったんだと激しい真実がふと分りかけた気がしただけで、刺す力が一時に凍ったように失われていた。あの女の腹の前で出刃庖丁をふりかざしたまま私は化石してしまったのだ。その時の私の恰好が小鬼の姿にそっくりだったと憎らしげに人に語る母であったが、私に言わせれば、ふりかざした出刃庖丁の前に突ったった母の姿は、様々な絵本の中でいちばん厭な妖婆の姿にまぎれもない妖怪じみたものであったと、時々思い出して悪感がしたよ。