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おもかげしょう

おもかげ抄

山本 周五郎

「キング」大日本雄弁会講談社、1937(昭和12)年7月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,947 字 · 22 页

青空文庫

――わたくしは是が本望……。

と笑って呉れた顔さえ、孫次郎には熱鉄を浴びる呵責だった。いつまでこんな貧乏はさせぬ、必ず立身して世の華を見せようと、蔭ながら誓ったことも徒となり、薬も満足に与えられぬ貧苦の中で、衰え果てたままそなたは死んだ、――そして今日になって、出世の緒口、そなた亡き今となって、なんの為に二百石取ろうぞ……椙江、――」

孫次郎は声を忍んで泣いた。

如何なる悲しみにもいつかは慣れると人は云った。果してそうであろうか。恋妻逝きて三年、千余日の日数が孫次郎の場合にはただ、愛慕をつのらせる日の重りでしかなかったではないか。

その日の暮れ方である、――街道の猪之松の店先へ孫次郎が訪れた。折良く店にいた隠居六兵衛が、

「これは先生、何か御用でも――?」

「ちとお話がござって」

孫次郎は店先へ入って、

「実は、此方には長々と親身も及ばぬお世話に相成ったが、仔細あって、この度当地を立退くことに致しました」

「な、何でございますって」

「お笑い下さるな、打明けて申せば家内の体が御当地に合わぬとみえ、兎角調子がすぐれぬ様子、拠なく南の方へでも移ってやろうと存じます」