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おもかげしょう

おもかげ抄

山本 周五郎

「キング」大日本雄弁会講談社、1937(昭和12)年7月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,947 字 · 22 页

青空文庫

七

と聞えよがしに喚く、「隠居さんが折角これまで世話をして守立ててやったものを、女房がぐずったからって立退く?――なんてえ義理知らずの武士だろう、あれだから甘次郎だてえんだ、人を馬鹿にしやがって何だ」

「うるせえ、黙ってろ」

「だって甘次郎め余り舐めてけつかる」

今度は殴られないように遠くから悪態をついている――とその時、一人の老武士がつかつかと店先へ入って来た。

「つかぬ事を訊ねるが」

と云うのを見ると、沖田源左衛門だ。

「唯今これを出て行ったのは、裏に住む鎌田氏であったの」

「へえ左様でございます」

「なにか別れの挨拶をして居った様子だが、そうでは無かったか」

六兵衛は不審そうに見上げて、

「へえ、なんでも急に御家内の都合で明朝早く、南の方へお立ちになるという話でございましたが、――何ぞ御用でもございますか」

「いや別に用事ではない――邪魔をした」

源左衛門は足早に立去った。

七

夜が明けかかっていた。

暗いうちに浪宅を引払った孫次郎、貧しい着換え包の中に亡き妻の位牌をしっかりと納め、見送りが来ては面倒と、急ぎ足に浜松の城下を西へぬけて来た。

――朝霧深く立罩める海道には、まだ往来の人もなく並木の松を越して彼方に、遠い海が光っている。