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おもかげしょう
おもかげ抄
山本 周五郎
「キング」大日本雄弁会講談社、1937(昭和12)年7月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,947 字 · 22 页
「じゃあ千人に一人の甘次郎で……」
ぴしゃり、吉公はまた張られた。
「この野郎、二度と再びそんな事を云ゃあがるとおっぽり出すからそう思え」
六兵衛は眼を剥いて喚いた。
しかしこんな話が弘まらぬ筈はない、なにしろ浜松城下を通じて珍しいような美男であるし、浪人に似合わず身嗜みが良く、月代も髭も曽て伸びたところを見せない。衣服こそ貧しくあるが、毎もきちんとして垢の付かぬ物を着ているという、一分の隙もない状風俗だから余計に話が面白いのだ。
「女房に甘次郎」
「甘田甘次郎先生――」
と評判が忽ち付近に弘まった。
孫次郎が移って来てから、二十日余りになろうという或る日、猪之松の隠居六兵衛が吉公を連れて孫次郎の浪宅を訪れた。
――庭先で木剣を振っていた鎌田孫次郎は、愛想よく上へ招じて、
「宜うこそおいで下された」
と奥へ振返って、「これ椙江、お客来じゃ、お茶をお淹れ申せ」
「いやどうぞお構いなく」
「斯様な貧宅、別してお構いは出来ませぬ。これ椙江、――お客来だぞ」
と云ったが舌打ちをしながら立つ。
「仕様のないやつ、また頭でも痛むと申すのであろう。どうもこの頃一倍と我儘がつのって困る、――」