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そのきどをとおって
その木戸を通って
山本 周五郎
「オール読物」文藝春秋新社、1959(昭和34)年5月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,448 字 · 44 页
正四郎は黙って、妻のようすを見まもった。耳の中で血がどっどっと脈搏ち、口をあかなければ呼吸ができなかった。ふさは歩きだした。梅林のほうへ向って、一歩ずつ拾うように、――正四郎も立ちあがり、はだしのまま妻のうしろから跟いていった。二十歩ばかりゆくとふさはまた立停った。
「これが笹の道で」とふさは呟いた、「そしてこの向うに、木戸があって――」
正四郎がそっと囁いた、「さあ、それからさきを思いだすんだ、さあ、その木戸の外はどうなっている」
ふさは身動きもせず、口をつぐんだままじっと立っていた。
「ふさ――」彼はそっと妻の肩に手をかけ、低い囁き声で云った、「よく考えてごらん、それは自分の家なのか、おまえの家の庭なのか、木戸を出るとどこへゆけるんだ」
ふさはゆらっとよろめき、持っていた銚子を落した。正四郎は両手で妻を支えた。するとふさは吃驚したように良人を見て、躯をまっすぐにした。
「わたくしどうかしたのでしょうか」
いつもの顔、いつもの眼に返っていた。
「いまおまえは昔のことを思いだそうとしていたんだ」と彼は云った、「私が云うから眼をつむってごらん」
「いいえ」ふさはかぶりを振った、「わたくしこのままで仕合せですの、昔のことなど思いだしたくはございません」