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わがちち

わが父

宮本 百合子

「中央公論」1936(昭和11)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,314 字 · 19 页

青空文庫

「そりゃそういう人もあるだろうが、俺はきらいだ、面倒くさいよ」

父はこういうたちであった。自身は淡白に、無邪気に建築家という技術を唯一の拠りどころとして生き通した。専門が違い、細かいことは分らないながら、私は世の中での父の仕事というものを幾分観ていたから、父が一箇の建築家から曾禰達蔵博士と共同の建築事務所の経営者としての生活に移って行く意味深い歴史の変化も、恐らくは父の知らなかったに違いない関心で眺めていた。

去年、まだ寒い時分の或る夕方のことであった。林町へ出かけて行って何心なく玄関をあけたら厚い外套を着た父が沓脱石の上に立っていて、家のものがスパッツのボタンをはめてやっているところであった。わきに、もうすっかり身仕度のすんだ一人の青年紳士が帽子を手に持って待っていて、出かけるばかりのところである。私は、覚えず少しがっかりした調子を声に出して、

「お出かけ?」

と云いながら近づいて行った。

「ほう、来たね」

父はいかにも上機嫌な歓迎の表情で顔をあげた。

「ゆっくりしといで」

「きょう、来て下すったんだって?」

朝のうち出かけて帰って来たら、生垣の向うから隣りの奥さんが声をかけて、お父様がいらしったようでしたよ、頻りに百合子、百合子って、大きな声で幾度もお呼びんなっていましたよ、と教えてくれた。