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わがちち

わが父

宮本 百合子

「中央公論」1936(昭和11)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,314 字 · 19 页

青空文庫

本当に私は悲しい。しかし、その悲しさはいかにも広々としており透明で、何とも云えぬ明るさ温さに照りはえている。その悲しみがそんなだから、その悲しさではどう取乱すことも出来ず、またどう心を傷つけ歪めることも出来ない。そんな風に感じられる。生活が避けがたい波瀾を経験するようになってから、私は自分の愛する父と、たとえいつ、どこで、どのような訣れかたをしようとも、万々遺憾はないように、そういう工合に暮して置こうと心がけていた。その気合いは父にも通じていた。それにしても、その互の心持はまことに、こうもあるものか。おどろきの深い心持がある。このおどろきの感情が脈々と私を歓喜に似た感情へ動かしたのであるが、今年の二月・三月は春になってからの大雪で、私が生活していた場所の薄暗く曲った渡り廊下の外の庇合には、東京に珍しく堆たかい雪だまりが出来たりしていた、その光景は変化のない日常の中で不思議な新鮮さをもって印象にのこったが、折から目に映じるそういう荒々しい春の風物と、新しく私のうちに生じて重大な作用を営みはじめた悲しみが歓喜に溶け込む異常な感覚とは、互に生々しく交りあって波動するようで、雪だまりがやがてよごれて消えるのもなかなか忘れ難い時の推移であった。