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ヒルミふじんのれいぞうかばん

ヒルミ夫人の冷蔵鞄

海野 十三

「科学ペン」三省堂、1937(昭和12)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 14,412 字 · 29 页

青空文庫

夫人は長椅子の上にガバと伏し、両肩をうちふるわせ、幼童のように声をたてて、激しく嗚咽しはじめた。

そのことあって以来、ヒルミ夫人の頬が俄かに痩け、瞼の下に黝んだ隈が浮びでたのも、まことに無理ならぬことであった。

ひとりで部屋のうちに籠っていれば、疳にうち顫う皓い歯列は、いつしか唇を噛み破って真赤な血に染み、軟かな頭髪は指先で激しぐかきられて蓬のように乱れ、そのすさまじい形相は地獄に陥ちた幽鬼のように見えた。

それにも拘らず怜悧なるヒルミ夫人は、夫万吉郎を傍に迎えるというときは、まるで別人のようにキチンと身づくろいをし、玉のような温顔をもって迎えるのであった。秋毫も夫万吉郎に、かき乱れたる自分の心の中を気どられるような愚はしなかった。

しかもその際ヒルミ夫人は、その温容なマスクの下から、夫万吉郎の容姿や挙動について、鵜の毛をついたほどの微小なことにも鋭い観察を怠らなかった。もしも万一、その夫が真の万吉郎でない証拠を発見したときは、彼女は直ちに躍りかかって、その偽の万吉郎の脳天を一撃のもとに打ち砕く決心だった。

しかし夫は、なかなか尻尾を出さなかった。