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ヘヤーピンいっぽん
ヘヤーピン一本
豊島 与志雄
「人間喜劇」1948(昭和23)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 8,246 字 · 17 页
一本のヘヤーピン、ではない、ただヘヤーピン一本、そのことだけがすっきりと、俺の心に残ったのは、何故であろうか。そのことだけが純粋で、他はみな猥雑なのであろうか。
パイプが煙脂でつまっていた。廊下に出てみると、女中が通りかかった。それを呼びとめて、パイプを振ってみせた。
「これが、つまっちゃったんだ。なにか、通すものはないかね。針金かなにか、なんでもいいんだが。」
女中はちょっと足をとめたが、パイプの方はろくに見ようともしない。
「針金………そんなもの、ないねえ。」
「針金でなくてもいいんだが……。困ったなあ。」
実は、パイプがつまったといっても、シガレット用のものだから、パイプなしでじかに吸えば宜しく、さして困ったわけでもない。それでも、女中に軽くあしらわれて、俺はちょっとまごついた風だった。
その時、廊下の向う側の室は、入口の襖が半分ばかり開け放しになっていて、奥の方に、四五人の男女の話し声がしていた。その中から、突然、女の声が響いてきた。
「これでどう? あげるから、使いなさいよ。」
顔も姿も見せず、手先だけが襖のかげから出て、一本のヘヤーピンを差出している。