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ボロやのしゅんじゅう
ボロ家の春秋
梅崎 春生
梅崎春生『ボロ家の春秋』。同一底本的分册已合并为一书。收入:ボロ家の春秋、Sの背中、黄色い日日、記憶、蜆、庭の眺め、凡人凡語。
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 129,411 字 · 263 页
しかもその異物は、砂利であろうとガラスのかけらであろうと、とにかく形があるものでありさえすれば何でもいいのです。どんなばかばかしいことにも、人間が情熱をそそぎ得るのは、一体にそういうからくりではないでしょうか。Sの痣は、蟹江にとって、まさしくそういうものなのでした。亡妻への追慕、虚妄化された幸福、今の味気ない日常、世俗的な幸福への漠然たる嫉妬、それらの混然たる総量が、幻の痣を核としてぎっしりと凝集してしまったというわけでした。この痣のことさえ解決すれば、同時にすべてのことが解決する。まあ言ってみれば、そんな気分なのです。まったくそれは一種の宗教的情緒みたいなものですな。
『とにかく一度、猿沢の背中を見ねばならぬ』
しだいに冬が近づくし、そうすればだんだん厚着になるし、裸の背中をのぞき見る機会は、ますますなくなってくるのです。その点において、蟹江は一種のあせりを感じていました。あるいは彼は、自分でも意識しないところにおいて、そのあせりを楽しんでいたのではないでしょうか。知ってしまえばそれまでで、すべては終ってしまうのです。だからこそ蟹江の胸には、猿沢の背中を見たくないような気持も、うすぐろい翳のようにぼんやりとうごいているのでした。