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マダムさだやっこ

マダム貞奴

長谷川 時雨

「婦人画報」1920(大正9)年2~4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 26,999 字 · 53 页

青空文庫

てばかりいた男の事や、彼女の通る街筋の群集が、「奴、奴」と熱狂して馬車を幾層にも取廻いてしまったという事や、いたるところでの成功の噂が伝わって、人気を湧立たせた。正直な文学青年の秋田氏が、美神が急に天下ったように感激したのは当り前だった。そしてまた出現した貞奴も観衆の期待を裏切らなかったのであったから、人気はいやがうえに沸騰し、熱狂の渦をまかせた。そのおり可哀そうな青森の片田舎から出て来ていた貧乏な書生さん秋田は、何から何までも芝居の場代のために売らなければならなかったのだ。場代といっても、桟敷や土間の一等観覧席ではない、ほんの三階の片隅に身をやっと立たせるにすぎなかったが、それでも毎日となれば書生の身には大変なことであった。すっかり貞奴熱に昂奮してしまった少年秋田は、机と書籍の幾冊かと、身につけていた着物だけは残したがあとはみんな空しくしてしまった。しまいには部屋の畳の表までむしりとって売払い、そして毎日感激をつづけていたとさえ言われる。

こんな清教徒の渇仰を、もろもろの讃詞と共に踏んで立った貞奴の得意さはどれほどであったろう。それにしても彼女におしむのは、彼女が芸を我生命として目覚め、ふるいたたなかった遺憾さである。