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ひとつのできごと

一つの出来事

宮本 百合子

「大観」1919(大正8)年11月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,024 字 · 23 页

青空文庫

好意に満ちた傍観が、彼等と私との間に見えない気分の流動を与えていたのである。

三

朝遅く起きて散歩に出掛けようとする入口などで、私はよくユダヤ人の母親に逢った。

ふかふかな黒い髪を高く結び上げて、丸顔へいつも白粉をつけている若い母親は、娘と殆ど姉妹のように見える。

ややいかつい、それでいて甘ったるい肉感的な容貌を持つ彼女は、いつも逢う毎に心持顔を左に傾けながら、莞爾(にこり)とする。それを見ると、私も難しい顔をしていられなくなって、同じような微笑を返しながら頭で挨拶をする。そして、行く方へ各自の途を別れる。ときには、よく肥った丸まっちい四肢を機械のように振りまわして、窓下の芝生(ローン)で湖から飛んで来る蜉蝣(かげろう)を追っかけている小娘に会うこともある。

けれども私達の交際は、決してそれ以上に発展する希望はなかった。少くとも私の方にその気がなかった。いかに彼等に好意を持ってはいても、「年中桜が咲く島」の女として、子供がバチを拈(ひね)るように玩具にされることは堪らない。彼等の好奇心は、何の悪意がなくとも、ときには不愉快を圧えきれなくなるほど濃厚である。